国際女性デーの今日考えたこと

今日は国際女性デー。朝からiMacの不調を感知したためバックアップをとるのにてんやわんやの一日だったおとです。

国際女性デーとはこのような日らしいです。

国連は1975年(国際婦人年)の3月8日以来この日を「国際婦人デー」と定め、現在は国際連合事務総長が女性の十全かつ平等な社会参加の環境を整備するよう、加盟国に対し呼びかける日となっている。(出典:wiki 国際女性デー

このような女性にフォーカスされる日にいつも不思議に思うことがあります。

なぜ女性が男性と平等でなくなったのか。

ということ。その歴史が知りたい。

私自身は、あまり不平等という中にいることは少なかったけど、それでも20代の頃には「小娘のくせに」ということは仕事上で言われたこともあります。
また、田舎に行くと22,3歳くらいで「まだ結婚しないの?」と聞かれたことも。

結婚してからは(地方の)義実家で、台所は男性が立つ場所ではないとか、地域の会合には男性がいかないと・・・などなど、私の人生の中で初めて女性と男性という明確に区切られた文化を体感することになりました。それも今では台所に夫と一緒に立ちますし、当時からは変わってきたことも多くあります。
なぜならそうしないと回らなくなってきているから。

 

 
人が産まれてくるのは女性から。もちろん男性がいて女性が育ててこの世に産みだす。

このずっと続いてきた人の歴史の中で、男尊女卑という概念はいつからどうやって生まれたのか。
それが今の世の中にも都合がいいから残っているのだと思いますし、それはなぜなのか。
とても興味があります。

 

この不平等ということが原因で選択肢が狭くなっている人もたくさんいるように感じます。
それは女性だけではなくて男性も。

 

経営者の会などでも、男尊女卑というわけではありませんが女性がその場にいることは特別感があるんだなぁと感じることもよくあります。良くしていただたりお気遣いいただくことの方が多いのですが、自然にもっと女性が増えるような場になるといいのにななんて思います。
一連の行事などのあり方もやっぱり男性主導だった時の名残を感じます。それも少しずつ少しずつ変わってきていることがその場にいるとわかります。

1986年「男女雇用機会均等法」が施行されました。この間に私は高校から大学、社会に出て独立しました。30年の間を考えると私が子供の時に思い描いていた社会(それはテレビ等でみていたもの)よりは均等にちかづいてはきていると思います。でもまだ均等ではない。

30年の間に携帯電話が広まり、インターネットが使えるようになりパソコンが家庭に入り、回線は有線から無線に、速度も劇的に早くなり、スマホがスタンダードに、資本金は1円で株式会社が作れるようになり、資金調達はクラウドファンディングや他の調達方法も生まれ、暗号通貨という概念も出てきている。女性の起業を応援する施策もたくさんできました。それでも均等にはまだまだだと思います。

 

それに対して声を荒げるだけではもったいない。運動や啓蒙も大切だけど、何かそれだけじゃつまらないなぁって思います。元気に自分らしく生きることそのものを楽しむ人を増やしたら、自然と均等に近くんじゃないかなって考えるようになりました。(それでもおかしいと思ったことはおかしいと言いますが)

そんな思いを一緒に持つ人たちと集って学んで体験する会をやりたいなーって思うようになりました。そこに至る思いを書いていたら収集つかなくなったのでまた次回に。

キーワードは「健康に楽しく美味しく人生味わい尽くす

 

ずっとやりたいなと考えていたことを少し表に出してみた国際女性デーでした。