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今年初めに自分の在り方を見つめなおせる一冊「一汁一菜でよいという提案」

最近とてもとても気になるお一人が土井善晴先生です。

以前はきょうの料理での後藤アナウンサーとの絡みで、お茶目だけども厳しい巨匠という印象が強かったのですが、ちょい住みを拝見し「きちんと生きる」ことを実践されていて伝えようとされている方なのかな?と少し見る目が変わりました。

そう感じたところででた本がこちらの「一汁一菜でよいという提案」です。

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質素だけど見窄らしくない。表紙に本質を感じ、現物をみてすぐに手に取りレジに直行しました。

拝読して思ったのは、土井先生は料理の枠組みでの巨匠ではなく、人生そのものを真っ当に生きることを伝え、少し歪みかけている今に警鐘を鳴らしている方だということです。

決して高いところから「こうしなさい」というわけでなく、私たちに寄り添い、現実の中でできることを、こうやってみたら?と優しく指南してくれています。

中に書かれていることは、もっと楽でもいいよ。理論的にも大丈夫。と、安心させてくれることばかり。でも簡単でいいよというテクニックではありません。

一汁一菜とはただの「和食献立のすすめ」ではありません。一汁一菜という「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、日本人としての「生き方」だと思います。(「一汁一菜でよいという提案」より)

この言葉の通り、生き方そのものについての本だと思いました。

少し脱線しますが、常々これでいいのだろうかと感じることがあります。
家庭の普段のご飯を作るのがなんで女性ばかりなのかなーということです。
買い物してご飯を炊いてお味噌汁を作ってということは、生きる素地として誰もができて当たり前のことだと思って生きてきたのですが、どうも世の中そうではないらしい。最低限の家事と料理は人として生きる素地なのにとずっと思ってきました。

もちろん時には外食や他人に(対価と引き換えに)お願いすることや、家族の中で不得意な部分を支えあったりすることもありだと思いますが、日常を営む要素にこれらが入ってこない今の在り方が少しおかしい気がします。

そんなモヤっとした気持ちを明確にしてくれた一節がこちら

私たちは日頃、ご飯を食べることを「食事する」と簡単に言いますが、そもそも「食べる」ことは「食事」という営みの中にあることで、単に食べることだけが「食事」ではありません。食べるとなれば、家族のだれかが買い物をして材料を用意する・・・・(中略)・・・その食べるための行為の全てを「食事」と言います。(「一汁一菜でよいという提案」より)

この引用にもあるように、食べることは誰でもするのに、その行為に関わることが全員ではないということ、生きるために必要なことに役割分担をしすぎていたり、さらにこの役割が軽んじられているように感じることに違和感を持っているのかなと今のところは思っています。

 

今回取り上げたところだけではなく、歴史的な背景や外食と家の違いなどが、石川九楊さんの言葉や他の学識者の考え、具体的な数値による比較等で土井先生の考え方がより深く理解できるように書かれています。

私たちの在りようを振り返り、未来のためにもう一度シンプルに進んでいこうと後押ししてくれている本。もう宗教や思想の本とも言えるのではないかと思います。

「生きるは食。育むも食。」

そんな言葉が浮かびました。

今年一番最初に紹介したい本でした。ぜひ。

 

そしてタイムリーにほぼ日で土井先生と糸井さんの対談が公開中です。
これがまだ素敵で。こちらもぜひ!
http://www.1101.com/doiyoshiharu/2017-01-01.html